昔の俺にとって、エロゲは極めて分かりやすい存在だった。エロいからやる。かわいい女の子が出てくるからやる。現実ではまず起こらないような都合のいい関係性や、俺の人生にはどうやら実装されていないイベントを画面の中で楽しむ。タイトルに「エロ」が入っているのだから、当然エロ目当てである。

ここで「いや、俺は純粋にシナリオを楽しんでいた」と言い始めると急に裁判が始まりそうなのでやめておく。もちろんシナリオが好きな作品もあったし、本気で好きになったキャラクターもいる。泣いた作品だってある。

ただ入口に「エロ」があったことまで否定し始めると、過去の俺から異議申し立てが飛んできそうなので認めておく。

ところが、俺も歳を取った。

世間を知り、金を稼いだり、人間関係で面倒な思いをしたり、それこそエロゲを作っている企業や、その中で働いている人間のことまで考えるようになった。

昔なら「うおお、こんな美少女に好かれて羨ましい」で済んでいた主人公を見て、「いや、お前その態度でなんで好かれてるんだ?」と思うことも増えた。ヒロイン側も同じで、どう考えても今そこでそのムーブはしないだろ、という行動を見ると、若い頃なら萌えていたはず(もしかして死語?)なのに今は乾いた笑いが出る。

創作の中の人間関係にまで社会性を求め始める。

嫌な進化を遂げたものである。

夢を見るための世界に現実の常識を持ち込み、「いや普通はそうならないだろ」とか言っている。ディズニーランドへ行って「この城、固定資産税いくらなんだろう」と考えている人間と大差ない。

でも、その代わり昔とは違うものも見えるようになった。

最近、エロゲって大人に優しかったんだなと思う。

別にメーカー各社が俺の年齢を検知して、「30歳以上のユーザーにはヒロインの気遣いイベントを20%増量します」みたいなパッチを当てたわけではない。エロゲ側はたぶん昔からそんなに変わっていない。

変わったのは俺の方である。

昔はエロやかわいさしか見えていなかった場所に、人間の温かさみたいなものが見えるようになってしまった。

それが成長なのか、老化なのか、単に疲れているだけなのかは分からない。

たぶん全部だろう。

昔の自分にとって、エロゲは「エロかった」

昔は、本当にエロゲだからやっていた。性的な描写があって、女の子との恋愛があって、自分のことを好きになってくれるキャラクターがいる。現実ならそんなに都合よく進まない関係も、画面の向こうではちゃんとこちらを待っていてくれる。

もちろん、当時からエロ以外も楽しんでいた。シナリオで泣いたこともあるし、キャラクターの考え方に惹かれたこともある。

だが、エロゲはさすがに偉大だ。

どれだけ高尚なテーマを語っていても、どれだけ壮大な世界観を用意していても、最終的に「で、このキャラのシーンはいつだ?」という極めて原始的な欲望が全部を追い越していく。

人類は月まで行ったのに、やっていることはこれである。

見た目が特に気に入っていなかったキャラクターでさえ、ルートを進めているうちに好きになり、エロシーンまで辿り着けば普通に満足する。逆に、そこで初めて自分が特殊な性癖を持っていることに気づいたり、「あ、これは駄目なんだ」と苦手なものを発見したりもする。

教育番組とは真逆の場所にあるような顔をして、妙に自己理解だけは進む。

だから昔の俺は、エロゲを遊んで色々なものを見ていたつもりで、実際にはかなり狭い範囲しか見ていなかったのだと思う。

歳を取ったら、エロ以外のものが見えてきた

最近は、文量の多いエロゲを昔ほど遊ばなくなった。一作品に何十時間も使う時間も、体力もないというのもあるし、ゲームそのものの選択肢が増えすぎたというのもある。

Steamを開けばゲームがある。スマホを見ればゲームがある。積んでいるゲームもある。これから発売するゲームもある。

娯楽が足りないのではなく、多すぎて渋滞している。

そんな状態なので、昔遊んだエロゲの記事を書こうとして記憶を掘り返すと、不思議とストーリーの細部より、どうでもよさそうな場面の方が出てくる。

大げさな告白でもない。物語の真相が明かされるシーンでもない。ヒロインが主人公に何気ない言葉をかける場面だったり、二人でどうでもいい話をしている場面だったり、誰かが誰かのために飯を作っているだけだったりする。

昔なら流していたと思う。

今は「このキャラクター、こんな身の上で、こんな年齢で、こんなことを言ってくれるんだな」と思う。

さらに面倒なことに、「これを書いた人はこういう関係が好きなんだろうな」とか、「この台詞、もしかして書いた本人が誰かに言われたかったんじゃないか」とか、作っている側にまで意識が飛ぶようになった。

エロゲを遊んでいるはずなのに、気づけばライターの人生を想像している。もう少し進行すると会社の決算まで心配し始めそうなので、その前には戻ってくるように気を付けたい。

でも、そういう見方をするようになってから、昔よりエロゲを優しいものだと感じるようになった。

若い頃の俺にとって、そこは「俺に都合のいい世界」だった。

今は「誰かが、こういう世界をわざわざ作ってくれたんだな」と思う。

似ているようで、これは結構違う。

ここで具体的な作品の具体的なシーンを一つ挙げられれば、大変コラムらしくて綺麗である。

しかし残念ながら、思い出せない。

十年以上前に遊んだエロゲの台詞を一字一句覚えているほど、俺の脳は優秀ではなかった。黒歴史については頼んでもいないのに高画質で保存しているくせに、こういう時に限って仕事をしない。

ただ、台詞は思い出せなくても、「このキャラクターと一緒にいる空気が好きだった」という感覚だけ残っている作品は結構ある。

考えてみれば、それ自体が答えなのかもしれない。

細かなシナリオを忘れても、そこで感じた空気、居心地だけは妙に尾を引いて残っている。

現実を知った人間に優しいのではないか

若い頃、エロゲの世界は現実とは違うと思っていた。そりゃそう。

現実には選択肢が画面に出てこないし、気になる女の子の好感度も右上に表示されなかった。少なくとも俺の視界には今も出ていない。もし「僕は表示されてるよ」「私は表示されてるよ」という人がいるのなら、よかったら教えてほしい。

人生の難易度設定を間違えた可能性がある。

間違った選択肢を選んでもロードはできない。昨日の発言をなかったことにもできない。そのくせ黒歴史だけは極めて優秀なオートセーブ機能を搭載していて、十五年くらい前の発言を深夜二時に突然ロードしてくる。しかも消去できない。

だから昔は、エロゲは現実を知らない人間が夢を見る場所なのだと思っていた。現実で得られないものを画面の中で補う。現実が面白くないから創作へ逃げる。そんなふうに、どこか「現実の代用品」みたいに考えていた。

でも、大人になってみると少し違う。

仕事、お金、人間関係、恋愛、孤独、責任。

現実にはセーブポイントどころかイベントスキップすらない。むしろ面倒なイベントほど強制で始まる。

そして、大人になるともう一つ分かる。

誰かが自分の帰りを待っている。しょうもない話を聞いてくれる。一緒に飯を食う。疲れていれば気づいてくれる。体調が悪ければ心配してくれる。

どれも現実に普通に存在することである。

そして、普通に存在することと、それが当たり前であることは全然違う。

若い頃の俺は、エロゲの中にあるそういうものをただの背景だと思っていた。エロもない、話も進まない。退屈なパートになれば「いつまでこの話してるんだ」とすら思っていたはずだ。

今は、そこを見ている。

エロゲは現実を知らない人間への優しさではなく、むしろ一度現実を知ってしまった人間への優しさなのではないか。

エロゲを作っているのも人間だった

自分でも物語を書くようになって、創作物を見る目はかなり変わった。

昔は「このゲーム面白い」で終了していた。

今は一本の作品が発売されているというだけで、とんでもないことに見える。

誰かが企画を立てる。誰かが何万、何十万文字という文章を書く。絵を描く。音を作る。声を収録する。プログラムを組む。デバッグする。広報する。値段を決める。発売日を決める。そして会社として採算まで考える。

そうやって、ようやく一本のエロゲが俺のPCに入ってくる。

当たり前の話なのだが、若い頃はそんなことほとんど考えなかった。インストールディスクをドライブに入れて、かわいいキャラが表示されるインストーラーをちょっとの間眺めていれば、美少女が自然発生するくらいの感覚だった。

当然、美少女は自然発生しない。

誰かが作っているのだ。

しかもエロゲは商業作品である。売れなければどこかにツケが回る。社員には給料を払わなければならないし、会社なら利益も出さなければ次がない。ユーザーを慰めるためだけに、霞を食って作品を作っているわけではない。

だからこそ、作品の中に時々見えるライターの自我みたいな部分が面白い。

この人はこういう女の子が好きなんだろうな。

こういう関係を美しいと思っているんだろうな。

こういう言葉を誰かに届けたいんだろうな。

作品として整えられたキャラクターの隙間から、作り手の人間性だけがほのかに漏れている。

俺は最近、そこがかなり好きなのだと思う。

金銭で成り立っている商業作品の中に、プレイヤーを慰めたり、救ったりするような優しさが入っている。

これは別に矛盾しない。

ラーメン屋の店主が客の健康と幸福だけを願いながらラーメンを作っているとは限らない。本人が美味いと思えるものを作りたいのかもしれないし、人気店になりたいのかもしれないし、当然原価率や利益だって考える。

それでも、俺は寒い日に食うラーメンがいつもより美味く感じる。

店主が俺個人を救うためにラーメンを作ったわけではない。

でも俺は勝手に救われる。

それでいい。

誰かが仕事として書いた「おかえり」に、勝手に救われる人間がいたって何もおかしくない。

現実逃避はそんなに悪いことなのか

エロゲに限らず、ゲームやアニメや漫画について「現実逃避」という言葉が使われることがある。

まあ、ぶっちゃけそう。

現実から目を逸らすために創作を見ることは誰にでもある。俺だってある。

毎日仕事をして疲れた人が、家に帰ってエロゲをする。誰にも言えない孤独を、架空のキャラクターに慰めてもらう。数時間遊んで、寝る。

結構なことだ。

翌日になればまた現実が待っている。

仕事も、上司も消えてなどいない。

借金があるなら借金も消えていないし、月曜日も普通に来る。月曜日くんはあれだけ世界中から嫌われているのに毎週欠かさず出勤してくるので、社会人としては極めて優秀なのかもしれない。

現実は何も解決していない。現実のシナリオを進めない限り、何も起きやしない。

でも、画面の中で誰かに「おかえり」と言われたことで、その人が少しだけ楽になって、次の日も起きて会社へ行けるなら、それを馬鹿にする気にはなれない。

現実を変える力はなくても、現実に戻るまでの休憩所にはなれる。

いや、よく考えたらそれは現実を変えている。

精神的に少し楽になった結果、翌日の行動が変わるのなら、それは十分現実に干渉している。ゲーム内では攻撃力+10%程度の小さなバフかもしれないが、現実世界でバフをもらえるならかなりありがたい。

昔の俺はエロゲに刺激を求めていた。

今の俺は、エロゲに精神の拠り所を見ている。

歳を取るというのは恐ろしい。

昔からそこにあったものを、ようやく見つけただけ

エロゲが変わったわけではない。

昔から作品の中には恋愛があって、日常があって、誰かが誰かを好きになる理由があって、孤独な人間に居場所を与えるような話があった。

俺が見えていなかっただけである。

歳を取った。現実を少し知った。創作する側の苦労も少し知った。人間がそんなに都合よく動かないことも知った。

都合のいい主人公にツッコミを入れるようにもなった。

ヒロインの行動に「いや、それはちょっと怖いだろ」と思うようにもなった。

若い頃より夢から醒めた見方をしているはずなのに、不思議なことに、だからこそ創作の中に用意された都合の良さを以前より素直にありがたいと思えるようになった。

現実と違うから駄目なのではない。現実と違うから、そこにいる意味がある。

昔はエロゲから「エロ」をもらっていた。

今はそこから「人の温もり」まで勝手に持って帰っている。

こう書くと随分きれいな話に見えるが、別にエロいものを求めなくなったわけではない。

そこは普通に求めている。

歳を取ったからといって悟りを開いたわけではないし、煩悩を捨てた覚えもない。

むしろ最近は、「シナリオが良くて、キャラクターも良くて、その上エロいならコスパ最強だろ」という、最終的に小学生の頃に食べたはなまるうどんみたいな結論になった。

当時は麺に無料の揚げ玉を大量に乗せて、それだけで満足していた。

今は卵もネギも肉も、それぞれ美味しいと分かる。

もちろん揚げ玉も乗せる。なぜなら無料だから。

たぶん、そういうことなのだと思う。

昔見えていなかったものまで見えるようになっただけで、昔好きだったものを嫌いになったわけではない。

それだけ自分が歳を取ったということなのだろう。

まさかエロゲで老いを実感するとは思わなかった。